お勉強
ここは田舎である。
ほんの5分歩けば都内に行けるけれど、どっぷり田舎だ。
夫と結婚してこの地に暮らすようになり、つくづく感じるのは、
ここの人達は、自分の力でいろんなことをなんとかしようとは思ってない、ということ。
誰かがなんとかしてくれる。
そんな風に生きている気がする。
地元の人がほとんどのご近所で、小学校からずーっと地域の学校に進み続け、切磋琢磨することもなく、そのまま地域で働いている。
○中の卒業生なの?何年生まれ?
そんなのが、50過ぎのおっさん(夫)と40過ぎのおっさん(近所の人)の間で日常的に話されている。
それがどうした…
いや、
それが悪いとは思わない。
そういう人生も考え方もあるだろう。
けれど、結局、義両親のように、自力で生きていくこともできず、それを大して申し訳ないとも思わない人間ができあがる。
夫も基本的には同じ人種だ。
私は、息子をそんな人間にはしたくない。
いろんな選択肢の中から、自分でなにか選び取り、掴める人間になってほしい。
ということで、中学受験をすることに決まった。
本人も納得の上で、だ。もちろん。
4年生の9月からという、スタートとしては遅いけれど、手遅れというほどではない時期。
小学校ではまだやってない単元で、目が回るような毎日を過ごすことになった息子。
弱音は吐きながらも、なんとか食らいついてる姿はむしろ頼もしい。
そんな息子に、義母は、
「勉強なんて、させなかったら、しなきゃいけないとか大学行くとか、気づかないで済むのに」
気づかないですむ。
そんな考え方が世の中にあることに驚いた。
私の父は、本当にめんどくさい人間で、世界は自分が回してると信じ、周りの人間は自分の言うことさえ聞いていればいいのだ、と思ってるような人だった。
色々衝突もした。
でも、今になって思うのは、何だかんだ言っても子供3人を大学まで出し、何だかんだ言いながらやりたいことをさせてくれた。
家庭を持って、その大変さを初めて身をもって知った。
知らなければいい、気づかなければいい、とは思ってはいなかったからこそ、そう育ててくれたのだと思う。
「(夫、義母からしたら息子)は、大学行きたいとか言わなかったから助かったわ〜」
「金がないから高校まで、て言ったじゃないか。専門学校行きたいって言っても、自分で行って、て行かせようとはしなかったじゃん」
「そうだっけ?
そんなことしなくても、ちゃんと生きていけるのよ」
待て。
どの口が言うとんねん。
こんな人間にならないように、息子はこの地から絶対に出そうと、強く強く思うのである。